澤に残るもの

村にひらかれた、大正の寺

延寿寺

何百年の古刹ではありません。延寿寺がひらかれたのは大正15年(1926年)——寺としては、驚くほど新しい寺です。開基は堀太三郎という人物と記録されています。

見どころは、昭和5年(1930年)に建てられた「一字一石(いちじいっせき)の宝塔」。お経の文字を一字ずつ小石に写して納めた供養塔で、この寺の名物として知られています。昭和17年(1942年)には「高徳山延寿寺」として公称されました。

百年たらずの歴史は、裏を返せば、村の祈りがまだ新しい記憶のまま生きているということ。日蓮宗の寺として、いまも澤の暮らしとともにあります。

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三百年前の年号を、名に持つ石仏

元禄のお地蔵さん

「元禄」といえば、赤穂浪士や井原西鶴の時代——いまから三百年あまり前の年号です。その名を冠したお地蔵さんが、澤の道ばたに立っています。

名前のとおり元禄のころのものだとすれば、この村でもっとも古い石仏のひとつということになります。詳しい由来を伝える記録は残っていませんが、名前そのものが、村の記憶の古さを物語っています。

地図にも「元禄のお地蔵さん」の名で載っている、村の小さな目印。道を行く人を、きょうも見守っています。

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飢饉に備えた、江戸の米倉

固寧倉

固寧倉(こねいそう)——聞き慣れない名前ですが、江戸時代の後期、姫路藩が飢饉に備えて領内の村々に置いた備蓄米の倉です。文化6年(1809年)に始まり、幕末には288カ所を数えました。その一つが、澤に残っています。

名は中国の古典『書経』の一節「民惟邦本 本固邦寧」——民こそ国のもと、もとが固ければ国は安らか——から取られています。凶作の年に村人を救うための米が、この倉に蓄えられていました。

倉が置かれたということは、ここに守るべき暮らしがあったということ。小さな米倉がひとつ、江戸の澤の暮らしを静かに証言しています。

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